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東京高等裁判所 昭和22年(選)1号 判決

東京都豐島区高松町二丁目二十五番地

原告

藤野泰一

右訴訟代理人弁護士

右復代理人弁護士

東京都千代田区霞ケ関一丁目二番地

被告

参議院全國選出議員選挙管理委員会委員長

白根竹介

右訴訟代理人弁護士

右当事者間の昭和二十二年(選)第一号参議院全國選出議員選挙無効事件について当裁判所は左の如く判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は昭和二十二年四月二十日執行の参議院全國選出議員選挙は之を無効とする、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求原因として原告は昭和二十二年四月二十日施行せられた参議院全國選出議員選挙に際し、公職從事適格者として同年三月十三日付第九二四一号内閣総理大臣の確認書により立候補資格を確認せられ、次で同月二十日選挙長に立候補の届出をしたものである。

而し、参議院議員選挙法第九十條第四項には「都議会議員選挙管理委員会又は道府縣会議員選挙管理委員会は命令の定めるところにより議員候補者の氏名経歴等を掲載した文書を発行しなければならない」旨を規定し参議院議員選挙法施行令第四十二條には「議員候補者が経歴公報に氏名経歴等の掲載を受けようとするときは選挙の期日前二十日までにその掲載文を具し文書を以て全國選出議員については全國選出議員選挙管理委員会にこれを申請しなければならない」とし同第四十三條には「全國選出議員について前條第一項の申請があつたときは全國選出議員選挙管理委員会はその掲載文の写二通を選挙の期日前十日までに都議会議員選挙管理委員会に送付しなければならない」旨の規定があるので原告は昭和二十二年三月二十三日東京都豐島区落合長崎郵便局を経て普通郵便の方法を以て経歴公報の掲載方を申請し右の文書は同月二十五日到逹したのであるが同年四月九日公表された立候補者の経歴公報には原告に関する部分は脱落していたので同月十一日右選挙管理委員会にこれを訊し右公報の追加発表を申請したが同委員会では掲載申請文書の到逹が受理期限経過後であるとの理由で拒絶せられ、結局原告の経歴公報は発行せられずして選挙が行われた、然し原告の掲載申請の文書は正規の手続によつて受理期限前に到逹したことは右選挙管理委員会から三月二十六日附で原告にあて右文書を受取つたが本籍地を知らせるようにとの通知があつたことによつても明らかであつて原告の申請手続には手落ちがない。

仮に掲載申請の文書が法定の期限迄に到逹しなかつたとしても昭和二十二年三月末日までに立候補届出をしたものに付ては右手続を遅延した者に対し一々その提出方を郵便電話等で督促して申請手続をなさしめ経歴公報の遺漏なきようにしたのに原告に対しては左樣な連絡は一回もなかつたから選挙の規定に違背するのみならず不公正な選挙といわねばならぬ。

これがために原告は極めて不利な立場で選挙運動を行うこととなり、僅かに八千六百二十九票の得票で落選するに至つたもので敍ら違法な選挙の執行は選挙の結果に異動を及ぼすものであるから本訴に及ぶというにある。

なお被告訴訟代理人坂千秋は内務省地方局長、北海道長官、内務次官を歴任し、同長谷川勉は宮崎縣及び埼玉縣特高課長、兵庫縣外事課長を歴任し、いずれも所謂追放覚書該当者であるから公職である被告の代理人となつて訴訟を遂行する権限はないと述べ、立証として甲第一、二号証を提出し、証人橋本彌平、神田季松、原告本人の各供述を援用し、乙第一号証の一、二の成立を認め(但し乙第一号証の二、封筒の裏面のぺン字の記載部分は不知)乙第二号証は不知と述べた。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め答弁として原告の主張事実中原告が昭和二十二年四月二十日施行せられた参議院全國選出議員選挙に昭和二十二年三月二十日立候補届出をしたこと、同年四月九日公表の立候補者の経歴公報に原告に関する分の掲載がなかつたこと、その後原告からラジオ放送その他の方法によつて周知の措置を講ずるよう要求があつたがこれを拒絶したこと、原告は得票数八千六百二十九票で落選したことは認めるがその時の事実は否認する。

参議院議員選挙法施行令第四十二條によれば経歴公報に掲載を受けようとするには選拳の期日前二十日までに(本件選挙では三月三十一日)文書を以て全國選挙管理委員会に申請しなければならないことになつているが、原告の掲載申請の文書(乙第一号証の一、二)は昭和二十二年四月十五日午後四時に受理したもので当時既に受理の期限は経過していたばかりでなく同施行令第四十三條による都道府縣会議員選挙管理委員会への送付期限をも経過していたもので法令上特別の措置を講ずることが出來なかつたのである。

立候補の届出があつた場合に選挙長から本籍地を照会することはあるが、これは被選挙権の有無を本籍地につき調査するためのもので、このことは原告に対してのみでなく多数の立候補者に対してなされたものである。

原告は経歴公報に掲載洩れのため選挙の結果に異動があると主張するが経歴公報は本件の選挙においては各世帶に配布することなく一投票区につき三箇所以上掲示するにとどめられたもので(同施行令附則第六條)あるし、本件の選挙で最低得票で当選した者の得票数は六万八千百二十八票で原告の得票数との差が五万九千余であるから到底選挙の結果に異動を來すことはないと述べ、尚訴訟代理権欠缺の主張に対し坂、長谷川両名の経歴及坂が公職追放該当者であることは認めるが、長谷川は公職追放該当者ではないと述ベ、立証として乙第一号証の一、二、乙第二号証を提出し、証人松沢和子、山口欣一、小林與三次の各供述を援用し、甲第一、二号証は不知と述べた。

理由

先ず弁護士坂千秋、同長谷川勉が本件につき訴訟代理権を有するや否やに付判断する。

弁護士坂千秋が所謂追放覚書該当者であることは同人の認めたところで昭和二十二年勅令第一号(昭和二十三年政令第三十二号でその一部を改正)第十五條には「覚書該当者は選挙権の行使に必要な場合を除く外すべての選挙管理委員会の事務所に出入してはならない」ことになつているが弁護士として選挙訴訟に付て選挙管理委員会の委員長の委嘱をうけて、その代理人となり訴訟行爲を行うことは弁護士固有の事務を行うものであつてこれは公職者に対しその職務を執行、政治上の活動を指示若くは勧奬するとか、支配の継続を実現することを意図するものでないから、同弁護士は被告の訴訟代理権を有し、有効に本件訴訟行爲を行う権限がある。

弁護士長谷川勉が追放覚書該当者であることは、これを認むべき証拠がない。

仮にその該当者であつても坂弁護士に付て説明したところと同一の理由で有効に本件訴訟行爲を行う権限を有するものであるから原告訴訟代理人の主張は理由がない。

次に本案に付て判断する。

原告が昭和二十二年四月二十日施行の参議院全國選出議員選挙に同年三月二十日立候補届出をしたもので同年四月九日公表の経歴公報に原告に関する分の掲載がなかつたことは当事者間に爭がない。

原告は経歴公報に掲載するための申請文書(乙第一号証の一、二)、は昭和二十二年三月二十五日右選挙管理委員会に到逹したと主張するが、これを認むべき証拠がない。

この点に関する証人橋本彌平、原告本人の各供述は措信しない、又原告主張のように差別して申請手続を督促したと云う証拠もない。

却つて成立に爭のない乙第一号証の一、二(但し乙第一号証の二のペン字の日付部分については証人山口欣一の供述によりその成立を認む)と証人松沢和子、山口欣一、小林與三次、神田季松の各供述を綜合すると、原告の郵送した経歴公報掲載申請の文書は昭和二十二年四月十四日に内務省文書課に配逹せられ、翌十五日右選挙管理委員会において受理したもので、当時既に法定の受理期限(三月三十一日)を経過した後であつたため右選挙管理委員会では掲載手続をとらなかつたことが認められるし原告に対し特に申請手続を督促したかつたというような差別的取扱をしたものでないことが認められるから経歴公報に原告に関する部分を掲載しなかつたことは選挙の規定に違背し、不公正になされたものでない。

從つて爾余の判断を俟つまでもなく原告の本訴請求は失当であるから民事訴訟法第八十九條に則り主文の如く判決する。

なお本件の口頭弁論には檢事濱田龍信、稻川龍雄が立会つた。

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